2018年12月7日金曜日

秋の京都 インストメタル和楽器 讃美歌 Kyoto in autumn.Japanese instrument Hymn.



今日は暦では大雪、寒くなりましたね。お元気ですか?昨年に撮影していた動画を編集して讃美歌のBGMを付けました。どうぞ、お楽しみ下さい。

2018年5月4日金曜日

♫二千年も前に赦されていた!讃美歌 praise song.



二千年前にも既に許されたイエス・キリストキリストを讃美します。 それを見つけ受け入れ信じるだけです。




2014年3月22日土曜日

@ No3 創12:1 主はアブラムに仰せられた。

この言葉の重みと、とりなしの言葉と祝福の言葉。

創12:1 主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。

   創世記の一つの中心的な物語。神からのメッセージの幕がこの12章から始まります。一人の男が、神の目にとまり、呼び出され召しを受けるまでのロングストーリーの幕開けです。

           


彼アブラハムの経験する、またその行動に隠されている神様との契約、神の愛の姿と形と教え等をが学び取れることが多く隠されているアブラハムの生涯です。彼の経験を、それぞれの生活に適用していくならば、大きな神の恵みと力を得るようになると確信します。

アナザ・ストーリー アブラハムの信仰に望みを!

私が始めてこの御言葉を、身をもって知った出来事。
17歳の<昭和30年代>時でした。とても思いやりの愛に溢れたカナダ人のスレーニー宣教師からでした。(私はキリストの救いを受けて救われたのは14歳でした。)

スレーニー宣教師は、冒頭の御言葉  創世記12章1節の言葉から、日本に宣教に行く決心をなさったと話されました。その話しをなさった後、私に語りかけてきました。

「あなたも将来。両親を離れ遠い外国に行きキリストの話をするようになる気がするよ。
貴方のために、とりなしの祈りをしていると、神様からの分からない特別な思いが、私の心に湧いてきましたから・・。」と話されました。
        


17歳だった私にはとてつもなく想像が付きませんでした。将来は結婚したら、両親と一緒に住みたいし・・外国?言葉も話せないし?  今はコックの見習いをしているし。将来の夢はレストランを持つことだから・・スレニー宣教師の言葉は、当時の私自身にはピ~ンとは来ませんでした。

  宣教師は「私は貴方のために、ズーと祈りますよ。貴方のこの言葉を心に留めて将来を祈って見ては如何でしょうか?」語って下さいました。それから2~3年後、仕事の都合で、その教会を離れて別な町の教会に・・
  時折は、その宣教師の自宅には遊びに行き交わり、交流をしていました。
カナダの教会からの遣わされていた任期が終えられ帰国なさいました。それから、20年後、未だお若いときでしたが、急病で亡くなられたことが残念です。

 私はその後、コック料理の修業のために幾つかの職場を変わり、また結婚。結婚生活が10年あまり、妻の病死で終わりました。傷心の心癒やすために、パリに行き、現地採用で、日本商社マンの独身寮の賄い作りをしました。その仕事ぶりが認められた? イラクに派遣されました。 コプト教のクリスチャンと交流と仕事も一緒にしました。イスラムの人達とも仕事を通じて仲良くなりました。親しくなると、キリストの話しも出来るようになりました。  アラーの神は、エホバでもありアブラハムの神だからと、私の証 キリストのを良く聞いてくれました。
イスマエルの神と同じだからと・・

私自身は、失いかけていた信仰を、イラクのメソポタミア砂漠で神に出会い、信仰を取り戻しました。砂漠に立ち上がる火の柱など聖書の世界の不思議をこの目で見ること以外に、肉声のように感じた、神からの言葉を聞くことも出来ました。火の柱が立ち上った砂漠に興味から見に行き、強い臨在というか不思議な人の気配(イラクの砂漠の午後9時頃、人は普通は居ないのですが) 気を失っていた中ですが・・。

     
           画像は私自身の30歳代
聖書に書いて有った下記の言葉を下記の、気を失うようなおぼろげ中で聞きました。 イザヤ59:1 見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。59:2 あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

神に対しての何故ですかが?神様に抱いていた疑問が吹き飛びました。イラクからフランス・アルジェリア カナダと転々としました。12年間でした。 父の死に目にも会えませんでした。
母がアルツハイマー記憶喪失になりました。癒やしを求めて4年近く、神の恵みで回復するという奇跡も体験。徐々に献身へと導かれていきました。

神学校を卒業してからは、海外宣教にも機会を与えられました。  ルーマニアからの帰国中継地点のハンガリーの駅の階段で、明日が日曜日だけれど、礼拝する場所が分からないと祈っていたら、あるハンガリー人夫人に声をかけられました。私が頭を垂れて祈る姿に気持ちが動いたそうです。ホームレスが途方に暮れているように見えたとも・・夫人は気になって声をかけて頂きました。
理由を伝えると。自宅に招き食事を提供してくださり。私の紹介する教会にに行きましょうと語って下さいました。 
午前中には婦人の所属教会で証をして、午後の教会では1000名近い会衆につたない英語で福音と癒やし、救いの関係をメッセージすることが出来ました。癒やしを宣言すると、心臓に問題があった人が癒やされたと報告を受けマッシュた。

終わった後、ふと前記のカナダ人宣教師の言葉と、とりなしの祈りを思い起こしたのでした。
祈って下さった宣教師は既に亡くなっておられましたが・・実現したと思いました。17歳の時に語られたさりげない言葉が、35年後に実現しました。

愛を持って長く長く時間をかけてのとりなしの祈りは実現すると・・おもいました。さりげなく愛ある長期間のとりなしが重要です。教会はとりなし合う、祈り合う人々の集まる所です。

 特定の方へのとりなしの力・祈りには 、神とその人・個人の間に入っ履、短期中期 長期にわたってとりなして励まして、注意や警告して下さり方が本物の預言者、とりなし手だと思います。

 集会で次々と預言する、預言者もおられます。その場だけで「預言します。」と言うのではなく、長い時間のとりなしが不可欠だと思います。   集会で特別予言を受けたとしても、実現するか しないか 吟味が絶対不可欠。

預言されて事に対して、とりなしの祈り手を依頼することも大切。預言集会で預言されることの中に、貴方が一度も祈った事の無い預言があった場合は切り離してもよいと思います。しかし、後になって実現する可能性も含まれる場合もあります。新しいことを言われた場合は、継続して吟味の祈りをしても良いと思います。
いずれにしても、貴方の祈りと賜物が預言実現には有効作用。加味してきます。一片のタレントや夢・使命感が無い事を預言された場合は、その預言を疑っても良いと思います。

偽預言にはご注意を!!
よくよく預言には注意と祈りと、預言の達成には、あなたの隣人かた、とりなしの祈りを依頼することです。 預言の基本は神の愛と祈りです。
事前に『あなたはどの様な事を祈りたい?予言が受けたいのですか?」と聞いてから聞いた預言をするには注意してください。それは預言と言うよりは占いに相当します。

 神からの啓示 使命 愛を受けたら、前向きに吟味しつつ、第一歩を踏み出すことです。アブラハムのように・・。
神キリストからの多くの祝福があなたにありますように。